爆裂について

爆裂スーパーファンタジーとは

 「爆裂スーパーファンタジー」とは、1993年4月からJFN系列で放送されていた視聴者投稿型のラジオ番組です。(それ以前に前身として「KAMON・SAIKOの脳天爆発ファンタジー」という番組がありましたが、情報がないため当サイトでは今のところ触れていません。)

 番組開始当初は「KAMON・SAIKOの爆裂スーパーファンタジー」というタイトルで、歌手の嘉門達夫鈴木彩子がパーソナリティーを務めていました。

 その後、1995年5月をもって鈴木彩子が降板し、翌6月からはTHE INGRY'Sの永島浩之・前島正義(元いんぐりもんぐり/INGRY'S)がパーソナリティーとなり、「KAMON・THE INGRY'Sの爆裂スーパーファンタジー」に改題、1997年4月からはTHE INGRY'SがFoolyouS(フーリューズ)に改名したことに伴い「KAMON・フーリューズの爆裂スーパーファンタジー」と改題され、1998年6月まで続きました。


※ この番組に関するさまざまな情報は、爆裂スーパーファンタジー(Wikipedia)に詳しく載っています。一度そちらもお読みいただくといいと思います。

ネット局について

 番組放送期間中にはネットしている局の入れ替わりが多数ありました。詳細なネット局については放送スケジュールをご覧ください。

 なお、この番組は60分番組でしたが、ネット局によっては放送時間が短く、55分の地域と58分30秒の地域がありました。それらの地域については一部のコーナーがカットされていました。

賞品について

 視聴者は番組内の各コーナーにネタを投稿し、採用されると賞品(番組後期はポイント)がもらえました。賞品については賞品リストをご覧ください。

OPテーマについて

 OPテーマはパーソナリティーである嘉門達夫・鈴木彩子・THE INGRY'S(FoolyouS)、および代プロ所属の須賀響子の楽曲が主に使用されました。詳細については番組オープニングテーマ曲の変遷をご覧ください。

爆裂メモリアルビデオ

 番組終了後に「爆裂メモリアルビデオ」というビデオが作成されました。内容を爆裂メモリアルビデオで簡単に紹介しています。

コーナーについて

 番組内のコーナーを紹介しています。今のところ1994年以降のデータしか確認できていないため、1993年の情報は掲載できていませんがご了承ください。

  • おハガキ紹介
     1994年時点ですでに存在し、番組終了まで継続。
     番組の頭で、ネタ投稿ではない視聴者からのハガキを紹介するコーナー。
     1997年9月から単独のコーナーとして区切られた。
  • 懺悔のコーナー
     1994年時点ですでに存在。95年1月に凍結宣言。
     ハガキ投稿ではなく、留守番電話にメッセージを吹き込むコーナー。内容は懺悔に限らず何でもよかったので、自作のOPトークが吹き込まれたりもした。
  • 彩子のメッセージコーナー
     1994年時点ですでに存在。鈴木彩子時代は準レギュラーコーナーだったが、彩子が番組降板後も時々放送された。
     ハガキ投稿ではなく、鈴木彩子がメッセージを朗読するコーナー。
  • 魚屋のオッサンのコーナー
     1994年時点ですでに存在。1994年1月に終了宣言。
     元ネタはあのねのねの「魚屋のオッサンの歌」。「○○のオッサンが××した」という定型文から、○○にかけたダジャレを言う。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として「We Are The 魚屋のオッサン'91」がある。
  • 歌が途中で変わるシリーズ
     1994年時点ですでに存在。「歌もんのコーナー」に統合されて消滅。
     嘉門による定型文の紹介がある。「このコーナーはどんなんかと申しますと、さっきまでこの曲やと思ってたのが知らんうちに別の曲に変わってるんやー!一体いつの間に変わったんだー!気が付かんかったなー!オーマイガー!そういうコーナー。」
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として、「替え歌メドレー3」等の中に「歌が途中で変わるシリーズ」というパートがある。
  • さーて来週のアワビさんはのコーナー
     1994年時点ですでに存在。1994年3月を最後に消滅。
     サザエさんの予告編のように「○○です。(ひとこと)さーて来週は、・・・、・・・、・・・の三本でーす」という形式で○○に関連したタイトルを3つ並べる。三段オチになる場合も多い。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として、アルバム「怒涛の達人」の「ネタのワンダーランド」内にこのネタがある。
  • おじいちゃんのコーナー
     1994年時点ですでに存在。1994年4月を最後に消滅。
     嘉門「うぅ〜ワシはもう駄目じゃ・・・」彩子「何言ってるのおじいちゃんしっかりして!」嘉門「最後にひとつだけ教えてくれ・・・」彩子「なあに、おじいちゃん?」の後におじいちゃんが一言言って死んでしまう。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として、アルバム「怒涛の達人」の「ネタのワンダーランド」内にこのネタがある。
  • 学校の達人のコーナー
     1994年時点ですでに存在し、番組終了まで存続。ジングルはオリジナル?
     身の回りの変なヤツを紹介するコーナー。ジャンプ放送局でいうところの「奇特人間大賞」に近いが、変なヤツ紹介に限らずなんでもありのコーナーだった。
     次の「おるおるのコーナー」と合わせてぴったり5分であり、55分バージョンの地域では放送されていない。
  • おるおるのコーナー
     1994年時点ですでに存在、番組終了まで存続。
     いわゆるあるあるネタ。
     前の「学校の達人のコーナー」と合わせてぴったり5分であり、55分バージョンの地域では放送されていない。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として「小市民」「GO!GO!スクールメイツ」等がある。
  • 知らんかったのコーナー
     1994年時点ですでに存在、番組終了まで存続。
     トリビアネタのコーナーだったが、中期ごろからウソネタが増加した。
  • あったら怖いのコーナー
     1994年時点ですでに存在、番組終了まで存続。、BGMは「ジョーズのテーマ」
     もし本当にあったら怖いだろう、と思われるものを考えるコーナー。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として「あったらコワイセレナーデ」がある。
  • 替え歌のコーナー
     1994年時点ですでに存在。「歌もんのコーナー」に統合されて消滅。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として「替え歌メドレー」等がある。
  • あわんあわんのコーナー
     1994年1月から、魚屋のオッサンのコーナーと入れ替わりで開始。
     どう考えても合わないものを考えるコーナー。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として「AWAN AWAN!!」「あわんあわん音頭」がある。
  • 法則のコーナー
     1994年2月から開始。
     世の中の法則を考えるコーナー。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として「マーフィーの法則」がある。
  • 新田一郎をさがせのコーナー
     1994年5月頃に「知らんかったのコーナー」から独立。独立後のジングルはスペクトラム「イン・ザ・スペース」のサビ。1994年11月を最後に消滅。
     事務所社長で元スペクトラムのリーダーである新田一郎の活動を探すコーナー。
  • 略語のコーナー
     1994年6月に開始、1994年9月に終了宣言。
     アルファベット3文字(以外でもよいが)の単語が何の略かを勝手に考えるコーナー。
  • あっちゃいきなさいのコーナー
     1994年8月募集開始、9月と10月に1回ずつ放送されて消滅。
     ノリツッコミを重ねて「あっちゃいきなさい!」で落とす。元々ヤンタンでやっていたもの。
  • 英語で言うとのコーナー
     1994年8月募集開始、9月からスタート。10月に消滅宣言がされた。
     日本語を適当な英語にする。
  • 言い訳のコーナー
     1994年8月募集開始、9月と10月に計3回放送されて消滅。
     問い詰められておかしな言い訳をする。元々ヤンタンでやっていたもの。
     似た内容の嘉門達夫の楽曲として「鼻から牛乳」がある。
  • 言えますかのコーナー
     1994年8月募集開始、同月スタート。
     人やモノなどに対して、そんなこと言えますか?というようなことを言うコーナー。
     同じ内容の嘉門達夫の楽曲として「言えますか?」がある。
  • 言い間違いのコーナー
     1994年8月に募集しようとし、その場でボツになるも、10月に1度だけ放送。10月末には消滅宣言。
  • 爆裂風呂ライブ実行キャンペーン
     1995年1月に開始、1995年4月に終了。
     嘉門達夫の付き人である風呂哲のライブを行うため、1曲ずつ風呂がオリジナル曲を披露するコーナー。最終的に開催直前まで行ったが、風呂が倒れたため企画自体が中止となった。
  • こんな自分が気に入っているのコーナー
     1995年2月に募集開始。同年3月と5月にそれぞれ1度だけ放送されて消滅。
  • めっちゃカッチョワリー!のコーナー
     1995年3月に募集開始、4月からスタート。
     カッコ悪い事象を考えるコーナー。
  • オープニングコント
     1995年1月頃から自然発生的に開始。
  • ドアホのコーナー
     1995年4月に開始。
     良く似た言葉をあえて聞き間違えてボケる。
     ぴったり1分半のコーナーであり、58分30秒の地域では放送されていない。
  • 歌もんのコーナー
     1995年8月に開始。
     従来の「替え歌のコーナー」と「歌が途中で変わるシリーズ」を合併したコーナー。
  • ナンテナのコーナー
     1995年7月に募集開始、8月からスタート。96年3月末で終了。
     何でもありのコーナー。
     このコーナーから誕生したTHE INGRY'Sの楽曲として「ナンテナ!のテーマ」があり、本コーナーのジングルは同曲のサビが使われている。
  • 男は横チン女はハミパンのコーナー
     1995年7月に募集開始、8月からスタート。
     95年7月の「学校の達人のコーナー」内で「水泳の時間に男は横チン♪女はハミパン♪と歌いながら着替える友達がいる」というネタが大ウケし、学校の思い出を紹介するコーナーとして独立した。
  • カッコよさそうでカッコ悪いもののコーナー
     1995年12月に募集開始、96年3月に1度だけ放送されて消滅。
  • ベスト3のコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、96年5月にスタート。98年5月を最後に消滅。
     いわゆる三段オチ。ジャンプ放送局の「路傍の立て札」と全く同じ内容であり、度々ジャンプからの盗作が指摘された。
  • キャッチフレーズのコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、96年5月、6月、7月にそれぞれ1度ずつ放送されて消滅。
     すでにあるもののキャッチフレーズを考えるコーナー。
  • 君こそスターか?のコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、96年5月に1度だけ放送されて消滅。
     自作の曲を送ってくればアドバイスなどをしてあげるというコーナー。
  • 新商品を作ろうのコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、96年5月と7月に1度ずつ放送されて消滅。
  • ホームページを作ろうのコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始したが、翌週にはボツになった。
     爆裂のホームページをリスナーに作ってもらおうという企画。
  • 怒って怒ってのコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、96年5月に1度だけ放送されて消滅。
     自分のことで怒ってほしいことを紹介するコーナー。
  • C級記事のコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、96年5月にスタート。97年1月を最後に消滅。
     主に地方紙に掲載されるような面白い記事を紹介するコーナー。
  • 私の幸せのコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、同月からスタート、96年10月を最後に消滅。
     自分にとっての幸せな瞬間を紹介するコーナー。
  • 人生自慢のコーナー
     1996年4月の東名阪終了後に募集開始、96年5月と7月に1度ずつ放送されて消滅。
  • 神田川のコーナー
     1996年4月に募集開始、96年5月にスタート。97年3月に終了宣言。
     「歌もんのコーナー」から独立。神田川の「あなたは私の体を抱いて ○○って言ったのよ」を替え歌にするコーナー。
  • なんでやねんのコーナー
     1996年5月から開始、番組終了まで存続。
     身の回りの腹が立つことなどに文句をつけるコーナー。
  • そっくりそっくりそっくりやー!のコーナー
     1996年7月から募集開始、96年8月からスタート、番組終了まで存続。
     身の回りの腹が立つことなどに文句をつけるコーナー。
  • ひとりごとのコーナー
     1996年10月から募集開始、96年11月からスタート。97年3月を最後に消滅。
  • あ、外国人や!のコーナー
     1996年11月から募集開始、96年12月からスタート。97年6月に終了宣言。
     似ているけれど違う二つのものが、一方がもう一方を見て「あ、外国人や!」と言うコーナー。
  • なんか変のコーナー
     1997年1月から開始。97年3月を最後に消滅。
  • ウレシイタノシイタマンナイー!のコーナー
     1997年2月から開始、番組終了まで存続。
     「学校の達人のコーナー」から独立。
     似た内容の嘉門達夫の楽曲として「オーマイガー!〜好き好きお菓子バージョン〜」がある。
  • どう思いますか?のコーナー
     1997年3月から開始、番組終了まで存続。
     「学校の達人のコーナー」から独立。語尾が「どう思いますか?」であれば中身はなんでもよい。
  • 日本語を外国語っぽくするのコーナー
     1997年4月に1度だけ放送。
  • バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!のコーナー
     1997年4月から開始、番組終了まで存続。
     あるフレーズから似たフレーズにだんだん変えていくコーナー。
  • ギャー!のコーナー
     1997年5月に1度だけ放送。
  • みんな元気かー!のコーナー
     1997年5月から開始、コーナーとしては98年2月を最後に消滅(98年5月に「学校の達人」内で少しだけ紹介)。
     最近見かけないものに、元気かー!と呼びかけるコーナー。
  • マシンの名前は何じゃらほいのコーナー
     1997年5月に開始、6月に終了宣言。
     いろいろなものにマシンっぽい名前を付けるコーナー。
  • 留守番電話のコーナー
     1997年7月から募集開始、97年11月を最後に消滅。
     いろいろなものが留守番電話にメッセージを吹き込み、最後に名乗るというコーナー。
  • うーん、ゴージャス!のコーナー
     1997年7月から募集開始、8月からスタート、番組終了まで存続。
     「ウレシイタノシイタマンナイー!のコーナー」から独立。
  • 統一してもらいたいのコーナー
     1997年7月〜8月頃に放送。
  • 諸行無常のコーナー
     1997年10月から募集開始、12月と98年2月に放送されて消滅。
  • なんとか星人のコーナー
     1997年10月から募集開始、98年5月に1度だけ放送。
  • 七不思議のコーナー
     1997年10月から募集開始、98年2月に1度だけ放送。
  • 名は体を表すのコーナー
     1997年11月に1度だけ放送されて消滅。
  • なぞなぞのコーナー
     1998年1月から募集開始、同月にスタート、番組終了まで存続。
     リスナー『えびっこかにはる』からの提案。
  • ウワサ天国のコーナー
     1998年1月から募集開始、同月にスタート、番組終了まで存続。
     リスナー『のりのりのりお』からの提案。
  • パーセンテージのコーナー
     1998年1月から募集開始、2月からスタート、番組終了まで存続。
  • 星座を作ろうのコーナー
     1998年3月と5月に1回ずつ放送されて終了。
  • アリヤアリヤのコーナー
     1998年3月からスタート、番組終了まで存続。  
  • ○書いて○書いてワッハッハのコーナー
     1998年3月からスタート、番組終了まで存続。
     文字に○をつけるシリーズがたくさん来たので独立。
  • どないせいっちゅうねんのコーナー
     1998年5月に1度だけ放送。
  • みんなでフーリューズのコーナー
     1998年4月に募集開始、1998年5月と6月に計3回放送。
     リスナー『高円寺かいおうまる』からの提案。フーリューズにありそうな曲のタイトルを考える。

ゲストについて

 番組には、時々レギュラー以外のアーティスト等がゲストとして出演することがありました。出演したゲストをまとめています。なお、前述のとおり1993年のゲストは掲載できていません。

  • BLUE BOY
     1995年4月に2回出演。その後95年11月にも出演。
  • 須賀響子
     1994年11月、1995年12月に1回ずつ出演。
  • KONTA(元バービーボーイズ)
     1997年11月に出演。
  • 井垣宏章(太陽の塔のVo)
     1997年11月に出演。
  • 裕太郎(プロペラのVo)
     1997年11月に出演。
  • 幹てつや
     1998年2月頃番組を手伝っており、時々出演。
  • SLAP STICS
     1998年5月に小林(Vo)と立井(Dr)が出演。
  • 某ゆきの(新井薬師自警団のVo)
     1998年5月に出演。
  • ブリーフ&トランクス
     1998年5月に2回出演。出演時のトーク内容→1週目2週目
  • 爆裂スーパーファンタジーに関する情報等が掲載されているサイトのリンク集です。ほとんどググれば上位に出てくるサイトですが、一応まとめということで。

おまけ